[1945年6月10日] B-29、関東各地の軍需工場および霞ケ浦飛行場を爆撃

日時

概要

関東各地の軍需工場を目標にB-29とP-51が飛来.悪天候のため2編隊が霞ヶ浦水上機地(土浦海軍航空隊)を爆撃.予科練生に多数の死傷者が出た.

登録件数

日本側航空部隊

連合側航空部隊

B-29による関東各地の軍需工場および霞ケ浦飛行場の爆撃

日時;1945年6月10日

第58爆撃航空団

作戦任務第195号.第58爆撃航空団のB-29 29機が出撃.霞ヶ浦水上機基地(第1レーダー目標)への投弾23機.時刻0901-0912.臨機目標への投弾2機.喪失なし.第1目視目標の中島飛行機大宮工場へ投弾した機体はなし.[1]

第58爆撃航空団

作戦任務第196号.第58爆撃航空団のB-29 33機が出撃.日本飛行機会社富岡工場(第1目標)への投弾32機.時刻0924-0929.臨機目標への投弾1機.喪失なし.[1]

第73爆撃航空団

作戦任務第197号.第73爆撃航空団のB-29 124機が出撃.日立航空機立川発動機製造所(第1レーダー目標)への投弾118機.時刻0857-0938.臨機目標への投弾2機.喪失なし.[1]

第314爆撃航空団

作戦任務第198号.第314爆撃航空団のB-29 27機が出撃.日立航空機千葉工場(第1目標)への投弾26機.時刻0745-0746.喪失なし.[1]

第314爆撃航空団

作戦任務第199号.第314爆撃航空団のB-29 65機が出撃.霞ヶ浦水上機基地(第1レーダー目標)への投弾45機.時刻0737-0759.中島飛行機会社荻窪工場(第1目視目標)への投弾7機.時刻0824-0827.臨機目標への投弾4機.喪失1機.[1]

第314爆撃航空団

作戦任務第200号.第314爆撃航空団のB-29 34機が出撃.立川陸軍航空工廠(第1目標)への投弾29機.臨機目標への投弾3機.時刻0752-0757.喪失なし.[1]

第7戦闘機兵団(7th fighter command)

作戦任務第180号.第15, 506戦闘航空群のP-51 118機が関東各地の軍需工場を爆撃するB-29の護衛に硫黄島を出撃.107機が有効な出撃と判定.損失なし.[2]

日本側艦船

連合側艦船

日本側地上部隊

連合側地上部隊

主な被害地域

証言集・記録本

凡例; ①文献名,②記事名,③著者名,④記事内容,⑤補足事項.

戦争体験記・回想録

市民らの回想.ただし上述の文献は除く.
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名(所属),④記事内容,⑤補足事項.

①証言・昭和の戦争『「紫電改」戦闘機隊サムライ戦記』光人社(1991)
②最後の局戦「秋水」は大空に在りや
③松本豊次(当時312空)
④霞ヶ浦基地から土浦航空隊への救援などを行った.
①『天翔ける若鷲 予科練最前線の記録』(1980)p155
②飛練時代
③小西利雄(当時霞ヶ浦空)
④甲飛13期.多数の死傷者の救助を行った.
①『海鷲の雄叫び 予科練最前線の記録2』(1981)p214
②空襲の思い出
③丸山恒子(当時土浦市の医院に勤務)
④周辺部落での死傷者・被害など.
①『温故知新』桜医会(1993)p489
②土浦海軍航空隊の最後の日
③青木高志(元航空適正研究所)
④20年1月-.6月10日の土浦空襲について.
①『孫たちへの証言 第24集 これだけは次代へ伝えたい《私の戦時体験》』新風書房(2011)p48
②日立で艦砲射撃を受け、振り替え休みで助かる
③所美恵子(日立助川家政女学校2部2年生)
④20年6月10日日立製作所海岸工場の爆撃を目撃.
①『孫たちへの証言 第24集 これだけは次代へ伝えたい《私の戦時体験》』新風書房(2011)p50
②爆撃され多くの犠牲者出した千葉師範の学校工場
③中西百合(当時千葉師範学校生徒)
④6月10日の爆撃について.日立製作所の学校工場となった構内の被弾状況.

写真資料

凡例; ①文献名,②記事名,③提供者・解説者名(所属),④記事内容,⑤補足事項.

文献資料

公文書や解説本.
凡例; ①文献名,②記事名,③著者名(肩書),④記事内容,⑤補足事項.

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