焼夷弾空襲、始まる
管理人による今月のおすすめピックアップです.
2026年3月は,81年前の1945年3月に行われた大規模小委空襲を紹介します.空襲を中心とした戦災記録編はこちら.
成果の上がらぬ昼間精密爆撃
1944年6月にサイパン島へ上陸,マリアナ諸島の日本軍守備隊を壊滅させB-29の基地を得た米軍は,同年11月から本州各地への爆撃を開始します.最優先の爆撃目標は航空機工場.最新鋭爆撃機B-29の高高度性能を生かした昼間高高度精密爆撃を繰り返しますが,ジェット気流や悪天候に妨げられ,なかなか爆撃成果が上がりません.
夜間焼夷弾攻撃への切り替え
日本軍には低高度用の対空火器が少ないこと,有力な夜間戦闘機を持たないことを見抜いた第21爆撃機兵団のルメイ少将は,従来の戦法とは全く異なる編隊を組まずに低空で侵入する夜間焼夷弾攻撃を採用します.日本の都市への焼夷空襲は以前から研究されており,日本の木造家屋に火災を生じさせるのに最適化した焼夷弾の開発もされていました.この焼夷弾を満載し,防御機銃や銃手まで減らしたB-29により,日本の主要都市を一気に焼き払う作戦が計画されました.
東京,名古屋,大阪,神戸,名古屋
3月9日夜は東京へ,11日夜は名古屋へ,13日夜は大阪へ,16日夜は神戸へ,18日夜は再度名古屋へ,いずれも200機から300機のB-29が高度わずか1500-3000mという極端に低い高度で押し寄せました.いずれも「〇〇大空襲」と呼ばれる空襲で,特に東京ではたった一晩で8万人を超える犠牲者を出す空前の大被害となりました.第21爆撃機兵団はこの5回の空襲で焼夷弾の在庫をほぼ使い尽くし,次に市街地へ焼夷弾が大規模に投下されるのは5月となりました.[1], [2], [3]
空襲体験記も整理中
本データベースは,部隊や艦船ごとに整理した軍人たちの回想を中心としています.しかし,調査の中で見つけてきた空襲の回想は,軍人か否かを問わず,空襲ごとにページを作成して整理しています.
「やっとの思いで厩橋のたもとに着いた時には、橋の上の人々やリヤカーに積んだ荷物に火が付いて、「長い火の橋」となっていた。空からは、これでもかというようい飛行機から油脂爆弾が降ってくる。熱さに耐えかねて隅田川に飛び込んだ人々や舟も、炎は容赦なく舐め尽くしていった。」これは東京大空襲の記録[4]ですが,悲惨としか言いようがない空襲記録も,戦後様々な媒体で残されてきました.当事者にしか語れないエピソードが多数残されています.
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