首都防衛を担った陸軍の高射部隊

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2026年2月は首都防衛を担った陸軍の高射部隊を紹介します.高射部隊の一覧はこちら

高射砲とは

高射砲はその名のとおり「高く射撃する砲」,狙うは敵の航空機です.現在の地対空ミサイル(SAM)に相当する,空からの脅威への地上部隊の対抗手段です.太平洋戦争後半,米軍は近接信管を使用することで劇的に命中率を上げていますが,日本陸軍は終戦まで時限信管をつけた砲弾による弾幕射撃を主としました.とはいえ電気式算定具や照空灯(サーチライト)も活用して,少なくない数のB-29を撃破しています.

高射師団から高射砲中隊まで

ごく初期には各師団に高射砲隊を分散させていた日本陸軍も,高射砲の集中使用の有用性を認め,対米開戦時には既に高射砲連隊を編成していました.航空機の威力や本土空襲の可能性が認められるにつれて部隊規模は拡大の一途をたどり,終戦時には4個高射師団に多数の高射砲連隊,高射砲大隊,高射砲中隊,機関砲中隊等がありました.その他,照空大隊のような協力部隊も存在します.

首都防空の高射第1師団

政治経済軍事の中心地であり激しい空襲を受けた関東地方には,多数の高射部隊が展開していました.この地域の高射部隊を指揮するのが高射第1師団.上野にある現在の国立科学博物館に司令部を置いていました.終戦時の高射第1師団は,高射砲連隊9個を中核に,独立高射砲大隊や野戦高射砲大隊等で構成されていました.

隊員の手記を多数紹介中

各部隊のページでは,これらの高射部隊に所属した隊員たちの手記を多数紹介しています.3月10日東京大空襲の際には「最初こそ照空灯に捕捉されたB29が目標であったが,そのうちに燃えさかる下町の炎に照らされて,高度二~三千メートルの青白い敵機が肉眼で大きく見えるようになった」[1]など,当事者にしか語れないエピソードが多数残されています.

東部防空旅団→東部高射砲集団→高射第1師団(晴)
昭和16年11月東部防空旅団として設置.東部軍隷下.東京の防空を担当.19年6月東部高射砲集団に改編.19年12月高射第1師団に改編.20年2月第12方面軍直属.終戦で廃止.[1],[2]
東京防空隊高射砲第1連隊→防空第1連隊→高射砲第111連隊
昭和16年7月東京防空隊高射砲第1連隊として柏で新編.板橋に移駐.11月防空第1連隊に改編.19年4月高射砲第111連隊に改編.埼玉県安行村(現川口市)等に展開し,東京北部の防空に従事.終戦で廃止.[1]
東京防空隊高射砲第2連隊→防空第2連隊→高射砲第112連隊
昭和16年7月東京防空隊高射砲第2連隊として柏で新編.世田谷に移駐.11月防空第2連隊に改編.19年4月高射砲第112連隊に改編.東京都世田谷区等に展開し,東京西部の防空に従事.終戦で廃止.[1]
東京防空隊高射砲第3連隊→防空第3連隊→高射砲第113連隊
昭和16年7月東京防空隊高射砲第3連隊として立川で新編.川崎に移駐.11月防空第3連隊に改編.19年4月高射砲第112連隊に改編.神奈川県川崎市等に展開し,東京南部の防空に従事.終戦で廃止.[1]
防空第4連隊→高射砲第114連隊
昭和16年11月防空第4連隊として市川で新編.東京に展開.19年4月高射砲第114連隊に改編.月島で東京の防空に従事.終戦で廃止.[1]
防空第5連隊→高射砲第115連隊
昭和16年11月防空第5連隊として市川で新編.市川に展開.19年4月高射砲第115連隊に改編.市川市須和田で防空に従事.終戦で廃止.[1]
防空第6連隊→高射砲第116連隊
昭和17年9月防空第6連隊として市川で新編.板橋に展開.19年4月高射砲第116連隊に改編.板橋成増で防空に従事.終戦で廃止.[1]
防空第7連隊→高射砲第117連隊
昭和17年9月防空第7連隊として横須賀で新編.横須賀に展開.19年4月高射砲第117連隊に改編.横浜中区で防空に従事.終戦で廃止.[1]
高射砲第118連隊
昭和19年4月東京で新編.後楽園に展開.終戦で廃止.[1]
高射砲第119連隊
昭和20年7月立川で新編.立川と新潟の防空に従事.終戦で廃止.[1]
独立高射砲第1大隊
昭和16年5月新編.月島で東京防空に従事.終戦直前に新潟に移動.新潟市で終戦.[1]p178

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