機上作業練習機「白菊」を使用した航空隊

管理人による今月のおすすめピックアップです.

2026年1月は日本海軍の機上作業練習機「白菊」を使用した海軍航空隊を紹介します.

機上作業練習機とは

航空機搭乗員がこなすべき作業は,操縦だけではありません.航法,通信,射撃,爆撃照準,写真偵察といった,操縦に勝るとも劣らない重要な作業が多く存在します.日本海軍では,これら操縦以外の機上作業をすべて偵察員が担当し,専門の教育部隊を設置して多数の偵察員を養成していました.これら偵察員の空中訓練のための練習機が,機上作業練習機です.

機上作業練習機「白菊」

日本海軍では長らく九〇式機上作業練習機を用いて偵察員の養成を行っていました.優秀な機体ではあったものの,実用機との差が大きくなったため,渡辺鉄工所に後継機開発を命じ,昭和19年3月に「白菊」として正式採用しました.単葉の近代的な外観で,偵察員の訓練に適した広い機内空間を持ち,以下の航空隊で大規模に使用されました.[1][2]

沖縄航空戦終盤には特攻出撃

昭和20年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸.沖縄周辺に所在する連合軍艦船に対して,九州と台湾から多数の特攻機が出撃しました.最新鋭の機体はもちろん,本来最も前線と遠い場所を飛ぶはずの「白菊」までもが特攻を命じられました.5月24日開始の菊水7号作戦では徳島空の「徳島第1白菊隊」と高知空の「菊水部隊白菊隊」が,同月27日開始の菊水8号作戦では徳島空の「徳島第2白菊隊」が出撃しました.[3]

搭乗員等の手記を多数紹介中

各部隊のページでは,「白菊」で訓練したり出撃した方々の手記を多数紹介しています.「特別攻撃は、実用機でやれるものと思っていたので、白菊と聞いたときは、ずいぶんがっかりした」[4]など,当事者にしか語れないエピソードが多数残されています.

鈴鹿海軍航空隊
昭和13年10月新編.偵察練習生教育を担当.12月第11連合航空隊に編入.17年4月第13連合航空隊.20年5月第13航空艦隊に編入.練習機「白菊」による特攻・若菊隊を編成したものの出撃せず.終戦で廃止.
大井海軍航空隊
昭和17年4月静岡県榛原郡にて偵察員養成部隊として開隊.第13連合航空隊.18年5月青島・上海分遣隊を設置.19年1月分遣隊は青島空・上海空として独立.20年5月第13航空戦隊に編入.終戦で廃止.「白菊」による特攻八洲隊を編成したが出撃せず.
徳島海軍航空隊
昭和17年4月新編.第12連合航空隊に編入され艦戦の実用機教程を担当.19年2月第13連合航空隊に編入.偵察練習生教育に転換.20年5月練習航空隊の指定を解かれ第12航空戦隊に編入.特攻白菊隊を編成,沖縄戦に参加.終戦で廃止.
上海海軍航空隊
昭和19年1月,前年5月に設置された大井空上海分遣隊が独立.第13連合航空隊に編入.上海戊基地で偵察教育を実施.20年2月,中支海軍航空隊に統合され解隊.訓練未了の飛練41期は高知空に転出.
青島海軍航空隊
昭和19年1月,大井空青島分遣隊が独立.偵察員の教育と水偵による対潜哨戒に従事.大きな戦闘には従事せず終戦を迎え解隊.
高知海軍航空隊
昭和19年3月第13連合航空隊隷下に編成.偵察専修搭乗員の教育を担当.20年3月作戦実施部隊に改編され「白菊」による特攻訓練を開始.5月から6月まで沖縄への特攻を実施.終戦で解隊.

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