守備隊・支隊一覧

国境守備隊,独立守備隊,南洋支隊,南海守備隊,北海守備隊などを扱う. 略歴をクリックすると個別のページに飛びます.

南洋支隊

歩兵第122連隊→南洋第1支隊
昭和15年12月軍旗拝受.松山.南方進攻作戦に参加.18年9月マーシャル諸島に展開.11月現地復帰し南洋第1支隊に改編.マーシャル各島に分散し守備に就いた.クェゼリンで玉砕した一部の他は対空戦闘と飢餓で消耗しながら終戦を迎えた.
南洋第2支隊
昭和18年11月第4独立守備隊に工兵中隊などを加え編成.19年1月クサイ島に進出.歩兵第107連隊と共に終戦まで同島の守備に就いた.
南洋第3支隊→独立混成第52旅団
昭和18年11月満州鉄嶺にて独立守備歩兵大隊3個を基幹に編成.19年1月ポナペ島に進出.5月,独立混成第5連隊の一部を加え独立混成旅団に改編.終戦まで同島の守備に就いた.
南洋第4支隊
昭和18年12月松江および久留米で編成完結.19年1月モートロック諸島サトウワン島に進出.以後終戦まで同島の守備に就いた.
南洋第5支隊→独立混成第50旅団
昭和18年11月福山で編成完結.19年1月佐伯を出港後海没.再編の後4月メレヨン島に進出.6月同島の第7派遣隊を加え独立混成旅団に改編.連合軍の上陸はなかったものの飢餓で多数の戦病死者を出した.終戦で廃止.
南洋第6支隊
昭和18年12月松山で編成.1月パラオに進出し防衛準備に着手したが2月ホーランジアに転進.移動中の海没の損耗を補充できないまま連合軍のホーランジア上陸を迎え戦闘に参加.転進先のサルミで終戦を迎えたが,復員できたのはわずか5名だった.

北海支隊,北海守備隊,千島守備隊

北海支隊→北海守備隊
昭和17年5月編成完結.アッツ島・キスカ島を占領し駐留.10月増強され北海守備隊となる.18年5月アッツ島の部隊は全滅,7月キスカ島から撤退.8月千島第1,第2守備隊の基幹となり復帰.
北千島守備隊
昭和18年3月編成.北千島要塞の第43要塞歩兵隊などで編成の第1地区隊が占守島に,北海道から進出した第2,第3地区隊が幌筵島に展開した.同年8月キスカから撤退した北海守備隊を合わせ千島第1守備隊に改編された.[1]p309,[2]p54
中千島守備隊
昭和18年3月編成.得撫島の守備と飛行場設営に従事.同年8月南千島守備隊と合わせ千島第3守備隊に改編された.[1]p309,[2]p54
南千島守備隊
昭和18年3月編成.4月末択捉島に進出,択捉島天寧飛行場の守備のほか,国後島及び色丹島にも派遣隊を置いた.同年8月中千島守備隊と合わせ千島第3守備隊に改編された.[1]p309,[2]p54
千島第1守備隊→第91師団(先)
昭和18年9月北千島守備隊,キスカから撤退した北海守備隊及び内地からの増援部隊で千島第1守備隊を編成.師団規模の編制で北千島の守備に従事.19年4月第91師団に改編.第27軍に編入.20年8月占守島でソ連軍と交戦.終戦で廃止.[1]p54,180,538
千島第2守備隊
昭和18年8月北海守備隊第3地区隊歩兵第3大隊を基幹として編成.松輪島の防衛に従事.19年4月復帰.人員機材は第42師団に引き継がれた.[1]p54,180
千島第3守備隊
昭和18年8月中千島守備隊及び南千島守備隊を改編.得撫島及び南部千島の防衛に従事.19年4月復帰.在択捉島部隊は独立混成第43旅団に,在国後島の部隊は独立混成第8連隊に編入された.[1]p54,180